こんにちは!2014年12月10日(水)にAccSellメール・マガジン第55号を発行しました!
- [連載]中根雅文の「全盲のコンピューター利用に関する四方山話」
- 第54回: Webアクセシビリティーを取り巻く90年代後半の国内動向 (1)
- [連載]植木 真の「こんなブログ記事見つけました!」
- 第13回: もうい〜くつ寝ると、クリスマス?
長野オリンピックは仕事を休んで白馬までジャンプとか観に行ったなぁ(遠い目)。このときはまだインターネットと無縁の生活をしてたけど、今読むとすごくおぉー!ってなりますね。
[連載]中根雅文の「全盲のコンピュータ利用に関する四方山話」
第54回: Webアクセシビリティーを取り巻く90年代後半の国内動向 (1)前回は、1997年の4月に、World Wide Web Consortium (W3C) がWeb Accessibility Initiative (WAI) を立ち上げた時のことを紹介しました。今回と次回は、これ以降の日本国内での動き、そして僕自身のWebアクセシビリティーとの関わりについて、2回に分けてお話しします。
徐々に高まるWebアクセシビリティーへの意識
前回も簡単に紹介しましたが、WAIが発足した1997年4月頃、国内でもアクセシビリティーというキーワードを耳にすることは増えつつありました。ただ、Webアクセシビリティーを向上させようという具体的、組織的な動きはあまり見られなかったと記憶しています。そんな状況の中で、WAI発足のニュースは、国内でのWebアクセシビリティーへの注目を上げ、取り組みを加速させる大きなきっかけになったのは間違いなかったと思います。
組織化されていなかったとはいえ、僕が積極的に騒いでいたせいもあったのか、僕の周囲ではアクセシビリティーという観点からWebを考える人も徐々にではありますが増えていました。
90年代中頃、つまり日本においてはWebが出始めたばかりの頃からWebに関わっている人たち数名の勉強会があったのですが、この勉強会には、当時W3Cのスタッフとして関わっていた人も何人か含まれていました。当時のW3Cは、アメリカのMIT、フランスのINRIA、そして日本の慶應義塾が共同で運営していて、慶應のW3C運営の拠点は、僕が在籍していた湘南藤沢キャンパス (SFC) にありました。そんな関係もあって、僕はこの勉強会に混ぜてもらうことになり、以後Webアクセシビリティーについても取り上げられるようになりました。たぶんこれが97年の中頃かもう少し後のことだったと思います。
WAI
一方WAIですが、日本から積極的に関わっている人はあまりいない印象でした。
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