こんにちは!2015年1月14日(水)にAccSellメール・マガジン第57号を発行しました!
- [連載]中根雅文の「全盲のコンピューター利用に関する四方山話」
- 第56回: ポケットベルと携帯電話
- [連載]植木 真の「こんなブログ記事見つけました!」
- 第15回: Happy New Year!
ポケベルが大流行したときはほんと公衆電話の前には行列がありましたねぇ(遠い目)。そして「ポケベルが鳴らなくて」という曲が久々に脳内再生されました。久々にカラオケ行こうかな。
[連載]中根雅文の「全盲のコンピュータ利用に関する四方山話」
第56回: ポケットベルと携帯電話新年明けましておめでとうございます。2015年も、このメールマガジン、そしてAccSellをよろしくお願いします。
相変わらず1990年代後半からなかなか進まない僕の昔話ですが、今回もまたその時期、いやそれより前の話です。
1990年代後半というと、携帯電話が急激に普及し始めた時期でした。今回は、この頃までの移動体通信について紹介します。
ポケットベル
ポケットベル (通称「ポケベル」、単に「ベル」と言う人も多かった) といっても、最近の若い人たちは分からないのではないか、という話を先日どこかで同年代のおじさんたちとしていました。読者の皆さんの中にも、「聞いたことはあるけど、なんなの?」という方もいらっしゃるかもしれませんので、まずはポケベルの説明からです。
今ちょっと調べてみたところ、Wikipediaの記事によると、日本では1968年からサービスが提供されていたようです。
サービス開始から1980年代後半 (前述のWikipediaの記事によれば1987年) までのポケベルは、非常にシンプルなサービスでした。ポケベルを契約すると、その人専用の電話番号が割り当てられます。この番号に誰かが電話をかけると、契約者が持っている端末 (これがポケットベルですね) がピーピーと鳴り出す、というだけのものです。
僕が初めてポケベルというものの存在を知って、実物に触れたのは、仕事でポケベルを使っていた父のものを見せてもらった1970年代後半のことでした。今から思うと、たったこれだけの機能を提供する端末だったのに、そこそこ大きなサイズだったように思います。 (でもちゃんとポケットに収まる程度のサイズでしたが。)
ポケベルのユーザーは、自分の端末が鳴ると、例えば勤務先に電話をかけたり、自宅に電話をかけたり、ということをします。もちろんその時に使うのは、その辺にある公衆電話、というのがほとんどでした。
僕の父の場合も、ポケベルがなると母に電話する、ということになっていたようです。 (別に母が父をしっかり管理していたわけではなく、母が父の仕事を手伝っていたためです。)
携帯電話 (当時は「自動車電話」と呼ばれることが多かったように思います) のサービスもありましたが、利用料金が高かったことや、端末の携帯性が良くなかったことなどもあって、外出先の人との連絡手段として、ポケベルはそれなりに受け入れられていたような印象があります。
話は少し変わりますが、日本に比べてアメリカではポケベルがより普及していたような気がします。 (アメリカでは pager (ページャー) とか beeper (ビーパー) と呼ばれます。) 1988年に僕はアメリカに留学していた、というのはこの連載でも以前にお話ししたことがありますが、この時、思ったよりもポケベルを使っている人が多いなと思ったことを今でも覚えています。面白いなと思ったのは、それなりに混雑しているレストランに行った時に、「席が空いたらこのポケベル鳴らすから、それまでどこかで時間つぶしててね」と言って、店の人からポケベルをわたされた、という経験でした。
ポケベル全盛期へ
単純な使い方しかできなかったポケベルでしたが、前述のWikipediaの記事によれば1987年に、端末を鳴らすだけではなくて、数桁の数字を送信する機能が提供されるようになりました。これまでは、端末を呼び出すために特定の番号に電話をかけて、つながったらすぐに切ってポケベルの持ち主からの連絡を待つ、という使い方だったわけですが、このサービスに対応している端末を呼び出す場合は、電話がつながった後、プッシュホンのボタンで数字を入力すると、その数字が呼び出される端末に搭載されている小さなディスプレイに表示されるようになりました。
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