こんにちは!2018年7月25日(水)にメール・マガジン第142号を発行しました!
- [連載]「不便さ」を力に――高齢者や障害のある人にも使いやすいモノづくり (4)
- 玩具メーカー勤務 高橋 玲子
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[連載]「不便さ」を力に――高齢者や障害のある人にも使いやすいモノづくり (4)
玩具メーカー勤務 高橋 玲子
最近機会をいただいて、19歳前後の学生さんたちを対象に私がしたお話の記録を何回かに分けてお送りしている当連載、第4回の今回は、思いがけなくアメリカで過ごすことになった高校時代のお話です。
アメリカでの高校生活
中学卒業が間近になった頃、なんと父の海外転勤が決まって、高校時代の三年間はアメリカのニューヨークで生活しました。今では日本もだんだんそうなってきていますけれども、当時のアメリカでは、障害があっても親と本人が希望して、簡単な審査でOKが出ると、一般の学校に行くのが普通でした。私も近所の一般の学校に通って三年間を過ごしました。
はじめは言葉もわからないし、みんなの動きもわからないしなかなかついていけなくて、大変でした。しかし、それなりのサポート体制がちゃんとあります。毎日授業二コマ分、2時間ではなくて80分ですけれども、特別な先生がやってきて、授業で配られたプリントを点字にしてくれたり、わからなかったところのフォローをしてくれたりします。そういうサポート体制もあって、三年間を無事に過ごしてニューヨークの高校を卒業することができました。
高校時代は合唱部に入っていました。はじめはなかなか友達ができなかったのですが、ひょんなことから私がピアノで伴奏をするようになったら、びっくりするぐらい友達が増えました。「あ、ピアノが弾けるんだ」と。それは、たぶん幼稚園で私がいじめをやり返したときに、「あ、あの人も、ちゃんとみんなと同じように怒ったり、泣いたり、笑ったりするんだ」とわかってもらえたのと同じように、「わけのわからない、言葉もしゃべれない東洋人だけれども、ピアノを弾いたりするんだ」と知ってもらえたことで、みんなが寄ってきてくれやすくなったのではないかなと思います。音楽は世界を超える、と思いました。文化を超えるし、言葉の壁を超える。そんなふうに思いました。
高校時代にもう一つすごく印象に残っていることがあります。高校生ともなると、アメリカではボランティア活動を結構します。私が行った高校では、平日の昼間にもそういう活動をしていいことになっていました。自分たちの授業は抜けて行くわけです。ある程度まじめに勉強してそこそこの結果を出していれば、「ボランティア活動のために、今日は授業を抜けたいです」と申請書を出して先生がOKすると、授業をパスして外へ行くことができるようになっていました。
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