あけましておめでとうございます。ことしもAccSellをどうぞよろしくお願いいたします!
さて、今年最初の「AccSellメールマガジン」第33号を発行しました!
第33回の内容は
- [連載] 中根雅文の「全盲のコンピューター利用に関する四方山話」
- 第33回:LaTeXによる墨字の文書作成
- [連載] 植木 真の「JIS X 8341-3:2010 『逆引き』徹底解説」
- 第32回【最終回】:JIS X 8341-3:2010 実践 <その24> おまけ(3) Easy Checks 後編
- [不定期連載]植木 真の「こんなブログ記事見つけました!」
- 第4回:年末年始に気づかされたこと
の3本です!
そろそろ正月ボケを直さないとですが、忘年会がまだ終わっていません。
[連載]中根雅文の「全盲のコンピュータ利用に関する四方山話」
第33回: LaTeXによる墨字の文書作成新年明けましておめでとうございます。本年も、AccSell、当メール・マガジン、そして当連載をよろしくお願いします。
前回は、PC-9801のMS-DOS環境での文書作成環境について紹介しました。前回も触れましたが、この環境は、プリント・アウトすることをあまり考えなくても良い状況においては、それなりに有効なものでした。しかし、大学に入学して課題のレポートなど、印刷物を自分で作らないといけないということが増えてくると、この環境で全てをまかなうのはちょっと難しくなってきました。
印刷物作成の難しさ
前回の繰り返しになってしまう部分もありますが、印刷物を作るという作業がなぜ僕にとって難しいのか、少し具体的にみていきましょう。
僕が自分で書いたものを誰かに見せる目的で印刷する場合に難しさを感じるのは、大きく以下の3点です。
- 自分が書いたものが読み手に最も伝わるようにするために、どのような工夫をするべきなのか、圧倒的に経験知が足らない
- ある程度一般的な視覚的工夫について理解してそれを実践しても、それが思った通りに印刷されているかどうかの確信を持てない
- 思った通りに印刷できていたとしても、ではそれが本当に伝わりやすさにつながっているのか、自分では確認のしようがない
3については、実際に誰かに観てもらって意見をもらう以外に方法がありませんので、ある程度諦めるしかない部分だと思います。実際、この点については今でも僕にとっては大きな問題で、内輪の文書ならともかく、そうでない場合はなるべく晴眼者に確認してもらうようにしています。 (ちょうど英文で何かを書いた時にネイティブ・チェックを入れるようなものですね。)
ただ、1と2については、いろいろと工夫することでカバーできることも少なくないと考えています。前回紹介したツール群も、この1と2についてどうにかするために試行錯誤した結果たどり着いたものです。
電子メールでやり取りする文書や、オンラインの掲示板に投稿する文書だけを考えるならば、これらのツール群でそれなりになんとかできたというのは、前回お話しした通りです。ところが、自分で書いたものを印刷物にするとなると、これでは必ずしも十分ではなくなってしまいます。なにが違うのでしょうか?
一番の違いは、オンラインでやり取りされるだけのテキストとは比べものにならないくらい、多くの視覚的な表現方法があり、そしてそれらを駆使して文書作成をおこなうのが一般的であるという点です。
最初のうちは、「俺は内容で勝負する。見た目なんかで内容の善し悪しを判断されてたまるか。」などと、威勢の良い独り言を言っていたりしましたが、周囲の人たちが内容だけでなく、視覚的な部分にもこだわって文書作成をしている様子を目の当たりにして、これが実に甘い考えだということに程なく気づかされました。
特に大勢の学生と同様にレポートを提出するような場合、同じような内容のレポートが並んだときに、視覚的に見劣りして、その上その視覚的な要素が分かりにくさにつながってしまっていたとすると、読み手としてはおそらく視覚的に分かりやすい方をより高く評価するでしょう。そんな風に考えると、知識量も乏しく、文章力もない僕が、「内容で勝負!」などと力強く宣言したところで、良い結果が得られるとはとても思えません。ですから、見るからに美しい視覚的デザインは無理としても、最低限視覚的に読みやすい印刷物を作ることは、避けて通れないことでした。
そんなわけで、上記1、すなわち一般的な視覚的工夫についてどうにかして、その上でそれを正しく印刷する (上記2) ための仕組みの必要性を強く感じるようになりました。
組み版システムLaTeX
そんなことを考えるようになったちょっと前に、僕の全盲の友人の一人が、LaTeXという組み版システムについて話しているのを耳にしました。
つづきはメルマガで……。