こんにちは!
「AccSellメールマガジン」第24号が発行されました!
第24回の内容は
- [連載] 中根雅文の「全盲のコンピューター利用に関する四方山話」
- 24回:増える電子化された情報
- [連載] 植木 真の「JIS X 8341-3:2010 『逆引き』徹底解説」
- 第23回:JIS X 8341-3:2010 実践 <その15> 一貫性、現在位置
- [不定期レポート] 個人事業とアクセシビリティー
- 第3回:確定申告の準備と地方税申告
の3本です!
辞書のようにたくさんの文字があるものほど電子化すると、調べるのも楽になりますし持ち運びにも便利ですよね!
[連載]中根雅文の「全盲のコンピュータ利用に関する四方山話」
第24回: 増える電子化された情報第22回と第23回では、それぞれ英語OCRとOPTACONについて取り上げ、1990年頃の印刷された墨字 (普通文字) の読み取りについて簡単に紹介しました。当時は、電子化されて僕たち全盲の視覚障碍者が独力で読める情報はまだまだ少なかった時代ですから、こういった技術への期待は今以上に高いものだったといえるでしょう。とはいえ、電子化された情報がまったく存在しなかったわけではありません。
今回は、1990年代前半に、僕が実際に利用していた電子化された情報に関連したお話しをします。
テキスト・データ
墨字が電子化されたものとして最もシンプルなものは、いうまでもなくテキスト・データ、いわゆるプレイン・テキストです。スクリーン・リーダーをインストールしたパソコンがあれば、普通に読み上げさせることができます。
これまでの連載で、僕は独力で漢字仮名交じり文を書けるようになったことがいかに大きなことだったかということを何度か書きました。しかし、それと同じくらいに僕にとって大きかったのは、テキスト・データになっていれば墨字の文章を独力で読むことができるということでした。
それまで、僕が独力で読める形で誰かが何かを書きたいと思うと、点字で書くか、朗読して録音したカセットテープを作るか、あるいは僕に直接読んで聞かせるという方法しかありませんでした。いずれにしても、普通に墨字で何かを書けば伝わる、というような状況ではなかったわけです。
ところが、もちろんパソコン上でエディターなりワープロなりを使えなければなりませんが、それが可能な人であれば、相手が僕であろうと晴眼者であろうと、特に気にすることなく文書作成を行えば、それを僕が独力で読めるようになったわけです。つまり、コミュニケーションに必要なコストが大きく下がったということができるでしょう。
最初にそういうことを実感したのは、フリーウェアのマニュアルを読んだ時でした。家電製品にしてもパソコンにしても、それまでマニュアルを読みたいと思っても人に読んでもらう以外に事実上方法は存在しなかったのですが、自分が使いたいと思ったソフトウェアのマニュアルを自分で読める、これには興奮しました。
今でこそ、家電製品も含めて、ソフトウェアもハードウェアも、多くの製品のマニュアルが電子化されて提供されることが多くなりましたが、当時はパソコン関係の製品であっても、市販品にはそのような電子化されたマニュアルなどはほとんどありませんでした。ですから、読みたいものをなんでも読める、というような状況からはほど遠かったのですが、文書が電子化されるということについて大きな可能性を感じ、そしてその可能性に期待するようになりました。(もちろん、今でも電子化されて提供されているマニュアルがまったくアクセシブルではないということも少なくないのですが)。
Data Discman
連載第2回でも少し書きましたが、全盲の視覚障碍者、特に学生にとって読みたいのに読めない墨字の資料の代表的なものは辞書です。点訳された辞書もありますが、膨大な冊数になること、また常に最新版の辞書を使うことができるわけではないこと、そしてそもそも点訳されている辞書が少ないことなどで、点訳された辞書だけでは不十分だという状況は少なくありません。
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